詳細不明。千眼寺という寺院があったが天正年間(1573年〜1592年)に廃転して、明元寺(引野)、浄教寺(加陽)、東楽寺(清冷寺)に分院したという。
千眼寺城は加陽城の南背後、標高103m付近に築かれている。
千眼寺城は古墳、山岳寺院、中世山城の複合遺跡であり、特色としては古墳や山岳寺院としての遺構が色濃く残っている。
山頂尾根上部分には無数の円墳があるが、規模は小さく削平もされておらず大半は古墳のまま残っている。山頂部分だけば削平されており、周囲も切岸のように見える。西側側面一帯には削平地が拡がっているが、これらは山岳寺院としての削平段と思われ井戸跡や基壇跡などが残る。南へ降ると土塁や堀切または切り通しのような遺構があり、中世山城として利用されていた可能性もあるが、全体的には山岳寺院跡として見た方が無難な遺構が多いように思う。