築城年代は諸説あり定かではない。 天正7年(1579年)武田勝頼が城を修築して小田原北条氏に備え、香坂昌信を城主としたが、この頃は三枚橋城と呼ばれていた。 天正10年(1582年)武田氏が滅亡すると徳川家康は松平康親を派遣して守備させた。
江戸時代になると大久保忠佐が上総国茂原から二万石で三枚橋城に入封した。しかし慶長18年(1613年)忠佐が嗣子なく没して大久保家は断絶となり、三枚橋城は廃城となった。
その後は天領となっていたが、安永6年(1777年)水野忠友が三河国大浜一万三千石に七千石を加増され、三枚橋城跡に沼津城を築いた。水野氏は以後八代続き明治に至り、明治元年(1868年)徳川家達が駿河国に入国すると、上総国菊間に転封となった。
中庭門(移築 城門)