駿河 泉頭城するが いずみかしらじょう
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築城年代は定かではないが、弘治年間(1555年〜1558年)頃に小田原北条氏によって築かれたと云われる。
武田氏が駿河に侵入すると、北条氏は泉頭城、戸倉城、三枚橋城などと連係して武田氏の侵攻に備えた。 天正8年(1580年)頃には武田勝頼が三枚橋城を拠点に北条氏の戸倉城を攻め、天正9年(1581年)笠原範定が武田氏に寝返り、戸倉城は武田氏の所領となった。
武田氏が滅ぶと再び北条氏の持城となったが、豊臣秀吉による小田原征伐の時、城は破棄され韮山城と山中城へ退いた。