築城年代は定かではない。 戦国時代には伊豆国と駿河国の境目の城として重要視された。
駿河国に侵攻した武田氏と小田原北条氏は戸倉城で戦い、天正8年(1580年)頃には武田勝頼が三枚橋城を拠点に小田原北条氏の戸倉城を攻め、天正9年(1581年)笠原政堯が武田氏に寝返り、戸倉城は武田氏の所領となった。
武田氏が滅亡すると再び北条氏の所領となったが、豊臣秀吉の小田原征伐に対して、北条氏は戸倉城を破棄し韮山城へと退いた。
城は本城山に築かれ、南麓の龍泉寺付近が館跡といわれる。
現在は本城山公園となり麓から遊歩道が整備されている。 主郭から西へ伸びる尾根を降りて行くと堀切があったが、その先は確認していない。主郭の南東方向に降りた所に切り出した石が散乱している。矢穴があることが石垣用の石であることは間違いなさそうだが、情報がないため詳しいことはわからない。