詳細不明。
大平古城は大平新城からさらに登った標高140m付近に築かれており、登山道が整備されている。
大平古城は近年新しく見つかった城跡で大平新城が先にあったことから、この名称が付けられたようであるが、縄張を見ると単純に新城、古城の関係にあるような城ではないだろう。大平古城は小規模ながら技巧的な虎口を有しているのに対し、大平新城は麓に近く広い城域を持っている。
麓から大平山に続く尾根道は城のあるピークの西端を通っているが、主郭は少し東に入ったピークに設けられている。最高所は主郭Iの西側で櫓台状の高まりとなり、そのまま主郭北側の土塁に伸びている。主郭虎口は明瞭ではないが東中央部分にやや窪みがあり、もう一つは南端から西の曲輪Vに抜ける細い路で櫓台下をすり抜ける構造になっている。
曲輪IIが城内でもっとも広く、右折れで入る虎口を設けている。北端は土塁囲みで虎口に対して内折れになる。虎口の外側にも土塁があり外枡形状になっている。
曲輪III、曲輪IVはこぶし大の石が散乱し一部は切岸に張り付いている。大手は北東尾根先と考えられるが、この先には遺構はない。
主郭の西側は北から西にかけて低い土塁のついた曲輪Vがあり、南西隅がやや開口する。大平山に続く南西尾根は少し降った所と鞍部に近いところの二ヶ所に堀切を設けているが、北の大平新城に続く尾根には不明瞭な堀状地形Bが確認できる程度で明確な堀切は存在していない。尾根先には城郭遺構かどうかはっきりしない地形Aがある。
大平古城の特徴は技巧的な虎口と低土塁囲みの曲輪である。主郭の西背後、曲輪Vのところに堀切を設けるほうが防御効率は良さそうだが、実際には曲輪を設け、北の大平新城側には堀切を設けていないことからも大平新城側とは行き来できるように配慮している。曲輪直下に堀切を設けず、やや下ったところに設けているのも大平新城と同じ構造である。
圓教寺から大平古城を経て大平山に通じる登山道の途中にあり、道標も出ている。
最寄り駅(直線距離)