伊豆 蛭ヶ小島いず ひるがこじま
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永暦元年(1160年)源頼朝が伊豆へ流刑となったとき、配流の地となったのが蛭ヶ小島とされる。
頼朝の父源義朝が平治の乱で敗れると、嫡男頼朝は死罪を免れ伊豆へ配流となった。このとき十四歳であった。 治承元年(1177年)には頼朝は北条時政の女北条政子を娶った。治承4年(1180年)平氏追討を決意し挙兵、征夷大将軍となり鎌倉幕府を開いた。
韮山中学校の西200m程の所に蛭ヶ島公園があり、この辺りが頼朝が配流された所とされる。公園には源頼朝・北条政子の像がある。