駿河 堀の内城するが ほりのうちじょう
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詳細不明。元亀元年(1570年)武田信玄が駿河に侵攻したときに武田軍が黄瀬川に陣取して北条氏に対応した。また天正18年(1590年)豊臣秀吉による小田原攻めでも豊臣方の軍勢が黄瀬川に陣取するなど交通の要衝であった。しかし堀の内城に直接関係する史料は残されていない。
堀の内城は黄瀬川西岸の段丘端に築かれていたが現在は宅地となっている。
大正時代までは幅1間ほどの土塁と堀が巡っていたというが、その後、宅地造成などによって削平され、現在はわずかに土塁が点在して残されているのみという。