天正4年(1576年)徳川家康の築いた羽城(はねじょう)がその前身である。 家康は長田重元に守らせ、後に永井直勝が城主となったが、天正12年(1584年)小牧・長久手合戦の功によって東端城へ移った。
大浜陣屋は羽城跡に明和5年(1768年)水野忠友によって築かれた。 水野氏は信濃国松本で七万石を領した大名であったが、寛保10年(1725年)忠恒の時に刃傷事件を起こして領地を没収、その後一族の忠殻が信濃国佐久郡で七千石で家督を相続、忠友はその忠殻の子で寛永2年(1742年)に家督を相続し明和5年(1768年)若年寄となって六千石を加増され、一万三千石で大浜に陣屋を築いた。
寛永6年(1777年)には将軍家治の側用人となり、七千石を加増され幕府の命によって駿河国沼津城を築いた。
現在は市街地に埋もれて遺構は残っておらず、小さな公園となってそこに案内板などが設置されている。今現在改修中のようであった。
「大浜陣屋図」で陣屋中央部の屋敷地の部分が羽城の規模とほぼ一致するという。
裏門(移築 城門)