三河 西端陣屋みかわ にしばたじんや
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元和2年(1616年)膳所藩主本多康俊の二男本多忠相が、西端村などに千石余りを領して旗本となったのが始まりである。
元治元年(1864年)十代本多忠寛の時に加増され、一万五百石を領して諸侯に列した。 忠寛の子本多忠鵬の時に廃藩置県を迎え、大名としては二代のみであった。
西端陣屋は湖西町1丁目付近にあったが現在は宅地となって遺構は残っていない。 北にある康順寺には本多忠鵬の墓が残っている。