天文年間(1532年〜1555年)頃に武田刑部少輔宗慶によって築かれた。 周防源氏武田氏の祖である武田宗慶は安芸国銀山城主武田光和の庶子で、天文9年(1540年)武田小三郎が毛利元就の支援を受けて欽明路へ移り、後に武田刑部少輔宗慶と称した。
銀山城主の安芸武田氏は天文10年(1541年)毛利元就によって滅ぼされたが、この武田宗慶は毛利氏に従って代々続き、文政元年(1818年)武田宗左衛門のとき、稽古屋敷をこの地に設けた。これが現在呉市にある呉港高等学校の前身となっている。
周防源氏武田氏屋敷は旧山陽道に面した地に築かれている。欽明路バス停のすぐ北にあり、道標に従って奥へ進んでいくと案内板と土塀に囲まれた屋敷跡がある。屋敷跡には「稽古屋敷創設地碑」や武田光和公、信宗公の墓などが残されている。
欽明路駅の北から旧山陽道に沿って東の欽明寺方面に向かうと南側に欽明路バス停がある。ここに道標が出ている。
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