掲載写真数
形態
山城(240m/180m)
別 名
倉掛山城
文化財指定
なし/不明
遺 構
郭
城 主
杉隆泰
歴 史
築城年代は定かではない。
大内氏の重臣杉隆泰は鞍掛三万石を与えられ鞍掛山城を居城とした。
弘治元年(1555年)厳島合戦によって陶晴賢が毛利元就に破れると一度は毛利氏に降った。
しかし再び大内氏に従うべく内通したが密書を奪われると毛利氏によって攻めら落城、隆泰は千数百名の城兵と供に討ち死にした。
説 明
東南麓には千人塚や四人塚が残されている。
南の最高所が本丸で現在は展望台となっており、そこから北に下りると二の丸で古戦場鞍掛城跡の石碑が建つ。
更に降り北に伸びる尾根には三の丸がありここが一番広い。
案 内
大手は東南麓にあり玖珂中学の東側の道路を山沿いに行った所に登山口がある。
搦手は西麓で途中まで林道が通っており終点の広場から山頂まではわずか数分で登ることができる。
最寄り駅(直線距離)
0.9km 玖珂駅
2.5km 欽明路駅
2.9km 周防高森駅
6.3km 米川駅
6.9km 行波駅
所在地/地図
最終訪問日
2007年1月