築城年代は定かではないが小方氏によって築かれたと云われる。 小方氏は安芸国小方(現在の大竹市)の土豪であるが、文明8年(1476年)小方盛康が子の與康に与えた譲状に周防国玖珂郡内とあり、この時にはすでに玖珂郡内に所領を持っていたようである。
瀬田城主小方氏は大内氏に属していた。弘治元年(1555年)陶晴賢が厳島合戦で敗れると、毛利の軍勢は周防へ侵攻する。蓮華山城椙杜隆康、鞍掛山城主杉隆泰、瀬田城主小方元康も毛利氏に降ったが、杉隆泰は大内義長に内通していたことから、毛利氏に攻められ鞍掛山合戦となった。この戦いで小方元康は杉隆泰を討ち取っている。
瀬田城は島田川に面した微高地に築かれていた。 現在は交益会館が建っており遺構はなくなってしまったようである。
国土地理院の地図を見ると、もともとは標高63m、比高20m程の丘陵があったようであるが、現在は平地になっており、入口に塚状に取り残した土盛の上に祠がある。