慶長年間(1596年〜1615年)に天野元嘉によって築かれた。 天野元嘉は安芸国金明山城天野氏の家系で、天野隆重の五男である。
天野隆重は始め大内氏に従い、後に毛利氏に属した。永禄年間(1558年〜1570年)には出雲国富田城代となって尼子再興軍を退けるなど活躍した。隆重の家督を継いだのが五男元嘉で、関ヶ原合戦後に防長二カ国に減封となると、玖珂郡久原村などに千五百石を賜り移った。
天野氏館は現在の久田児童公園のある辺りに築かれていた。 平地にある城館としては珍しく、「未指定文化財総合調査報告書 史跡-中世-編」に掲載されている地図の位置と、写真の位置があっている。掲載されている写真は県道7号線沿いにある上岡商店の付近である。同書に遺構として石積と掲載されているがわからない。
この居館跡はオマケとして近くの通化寺(地図)に「天野隆重夫妻の墓」があり文化財指定されている。同所にも天野元嘉の墓と毛利元氏の墓がある。毛利元氏は吉川元春の二男で阿川毛利氏の祖である。