築城年代は定かではないが三村氏によって築かれたと云われる。
三村氏は鎌倉時代に新補地頭として洗馬の庄に入ったと云われているが、その出自は定かではなく、常陸発祥、備中三村庄発祥など諸説ある。
洗馬の三村氏ははじめ西洗馬に住んでいたが、のちに芦の田(本洗馬)へ移り、居城も武居城から妙義山城へ移ったとされる。時期については定かではないが、大永7年(1527年)に菩提寺として長興寺を建立していることから、この時期と推測されているようである。
信濃守護職の小笠原氏が甲斐の武田氏によって駆逐されると、三村氏も武田氏に従ったが、天文23年(1554年)甲斐にて三村長親一族主従213人が討ち取られた。その後も一族の後庁久親に洗馬領が安堵され、小笠原貞慶が旧領に復帰すると三村長親の嫡子勘兵衛が後庁久親の養子となって所領を安堵された。小笠原氏が信濃から転封となると勘兵衛は諏訪に退去し、やがて帰農した。
参考文献: 『平出博物館紀要 第37集 信濃の豪族三村氏のルーツについて』『信濃の山城と館』『日本城郭大系』
武居城は南の山塊から北へ伸びた比高90mほどの山に築かれおり、現在は武居城公園として整備されている。
主郭は山頂にあり、北東、北西、南の三方を堀切で遮断、南に堀切を挟んで二郭があり、南端は土塁と大堀切で遮断している。主郭、二郭の西側面には横堀から派生する大規模な畝状竪堀群があり、見どころとなっている。
主郭から北東へ伸びる尾根には小さな堀切と大きな堀切で多重堀切になっており、本来曲輪であったものを潰したような感じにも取れる。
公園の駐車場が西麓にあり、そこから主郭まで遊歩道が付いている。
最寄り駅(直線距離)