築城年代は定かではない。西牧氏の北条城の詰城として築かれたと考えられている。
天文年間(1532年〜1555年)頃には小笠原氏の家臣二木氏の城で、天文19年(1550年)武田信玄によって林城を追われた小笠原長時が二木重高の勧めで中塔城に一時籠城したと云われている。
中塔城は標高1250m程の山に築かれている。
主郭部は標高1250m付近であるが、山の神が祀られている辺りは緩斜面の地形が広く拡がっている。その東側にある尾根先付近は土塁の付いた曲輪があり、そこから東中腹に掛けて小さな段曲輪と堀切が確認できる。一方西尾根側は浅い堀切が一条あるのみである。
この城は東の林道から登る尾根や山腹に林業の堀底道が多数掘られており、城内も作業道による破壊が大きい。
「梓川ふるさと公園」の駐車場が利用できる。公園の奥から林道があり、その一本が東山腹に通じている。その林道から尾根を登って行けば主郭に達する。
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