築城年代は定かではないが西牧氏によって築かれたと云われる。 西牧氏は滋野氏の庶流で鎌倉時代に西牧に土着し西牧氏を称したことに始まると云われる。
応永7年(1400年)の大塔合戦では仁科氏らとともに守護小笠原氏と戦った。 天文17年(1548年)の塩尻合戦では始め小笠原長時に従って武田氏と対峙したが、西牧信道は三村長親と武田氏方に寝返り、仁科道外は兵をまとめて引き上げるなど、小笠原氏敗走の一因となった。その後は武田氏に属していたが、天正10年(1582年)武田氏が滅亡し、織田信長が本能寺の変に倒れると、徳川家康の援助を得た小笠原貞慶が旧領を回復し、このとき西牧氏は小笠原氏に攻め滅ぼされた。
北条城は金松寺山から東へ派生した尾根の先端にある、標高946mの城山山頂に築かれている。
主郭は山頂の東端にあり、ちょうどl字のようになっており周囲に土塁が巡っている。南側に虎口があり南下の帯曲輪へと坂道が付いていて、帯曲輪から南へ降りる尾根に、北側に土橋の架かる堀切を設けた曲輪が一つある。
主郭から西へ続く山頂には堀切で区画された曲輪が二つある。主郭の西側はそれほど広くないが、東西両側は堀切になっている。その西側は東西に広い曲輪で中央やや西に井戸のような窪んだ地形があり、西側は自然地形の尾根道になっている。
主郭から北側の堀切を越えると南北に長い曲輪があり、先端に石が祀ってある。ここから釈迦堂の方に続く尾根に階段状に小段が続いており、途中に竪堀などが所々あるが、曲輪の切岸は不明瞭である。先端から若宮八幡の方に降りる尾根には明瞭な竪堀が残っている。
城山の東麓にある若宮八幡宮から山道が付いている。若宮八幡宮には駐車できないが、参道入口の墓地に駐車できる。
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