天文19年(1550年)真々部尾張守盛幸によって築かれたと云われるが定かではない。 真々部氏は日岐城主丸山氏の一族で、森城主仁科氏に仕えていた。
天文年間(1532年〜1555年)に安曇野一帯が武田氏の勢力下となると、真々部尾張守真光が城主となった。しかし、永禄年間(1558年〜1570年)に仁科盛政と同様に真々部氏も越後の上杉氏に通じたとされ、武田氏によって成敗された。
真々部氏館は現在の金龍寺境内一帯に築かれていた。 副郭の平城であったという。
現在は本堂の北西側に小公園があり、ここに案内板と標柱が建っている。標柱の建っている土盛が土塁跡であろう。金龍寺は真々部尾張守の菩提寺で、気づかなかったが墓も残っているという。