築城年代は定かではないが平瀬氏によって築かれたと云われる。 平瀬氏は犬甘氏の一族で犬甘氏とともに小笠原氏に従っていた。
天文20年(1551年)武田氏によって攻め落とされ城兵二百四人が討ち取られた。 その後、武田氏は栗原左衛門に命じて城割(破却)し、鍬立て(築城)が行われ原美濃守が在城した。
平瀬城は犀川東岸の西へ張り出した尾根の先端頂部に築かれている。谷を挟んで南側に南支城、北側にも北支城がある。
平瀬城は西端最高所に土塁によって東西に区画された曲輪があり、その西下に腰曲輪、そこから北下にスロープがあり、北山腹の腰曲輪に通じる。東へ続く尾根は大きな連続堀切とそこから伸びる長大な竪堀群によって遮断されている。
連続堀切の東側にも不整形な曲輪があり、その先の土橋の架かる堀切の東側には土塁囲の曲輪が付いている。
国道19号線沿いにある下田集落の奥に登山道入口があり、入口に案内板が設置されている。ここに一台程車を駐めるスペースがある。(地図)
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