築城年代は定かではないが光六郎幸元によって築かれたと云われる。 光氏は海野氏の一族で海野幸元が築城し、光氏を称したことに始まるとされる。
天文22年(1553年)武田氏の苅谷原城攻めに際して光城も落城したという。
光城は犀川の東岸に聳える標高911.7mの光城山山頂に築かれている。現在城山は桜並木がありライトアップもされて人気のハイキングコースになっている。
光城は山頂の主郭部と南西の二郭で構成されている。 主郭部は古峯神社が建ち周囲に土塁が残っている。山頂から北、東へ伸びる尾根には堀切が残り、一部竪堀として続いているが、林道や遊歩道の整備によって破壊されている。
主郭の南西の尾根に堀切があり、その先に二郭がある。二郭は中央がやや小高く土塁状の土盛りもあるが、この辺りは公園として整備されすぎており判然としない。
登山道は国道19号線と県道495号線の光橋東交差点の東側、集落内の道路沿いに道標がある。また林道も南の県道57号線、あるいは北の長峰山経由で付いており、すぐ背後まで簡単に行くことができる。
最寄り駅(直線距離)