築城年代は定かではない。会田虚空蔵山城の支城で苅谷原氏のちに太田弥助が城主となった。
天文22年(1553年)武田信玄によって攻められ落城、武田氏の家臣今福石見守が城番として置かれた。
苅谷原城は国道143号線、刈谷原トンネルの上のあたり、標高896.6mの城山に築かれている。
山頂の主郭を中心として三方に伸びる尾根に曲輪と堀切を展開している。主郭には標柱が建てられているが倒木などによって標柱も倒れてしまっている。まとまった曲輪はこの主郭部付近にしかなく、三方に伸びる尾根に堀切を挟んで伸びている尾根は自然地形に若干手を加えた程度である。
三方の尾根筋に山道がついている。南からアクセスしやすそうだったので、こちらから登ったが、倒木などか激しくいまでは一番歩きにくい尾根のようである。
登口は東の集落から獣避け柵を明けてすぐの切通し西側で、いちおう山道はある。
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