築城年代は定かではないが原氏によって築かれたと云われる。 原氏は千葉氏の庶流で、千葉常兼の弟常途が原四郎と称して生実城に住んだのが始まりともされる。
永正15年(1518年)原氏は真里谷城主の真里谷武田氏によって小弓城を追われ、その後、足利義明が小弓城に入り小弓公方称して古河公方に対抗した。
天文7年(1538年)足利義明は下総国国府台で北条氏綱の軍勢と戦って敗れて討死する。これによって小弓城も北条の手に落ち、原氏は生実城を築いて居城としたという。
小弓城は比高20m程の台地の上に築かれている。小弓城は南生実城とも呼ばれているが、これは新旧二つの生実城が存在するために区別した呼び方である。
主郭は台地の南西端にあり、墓地の一角に案内板が設置されている。主郭の遺構はわずかに土塁があるのと空堀跡が道路などとなって残っているにすぎない。
小弓城は主郭から北東側に拡がる台地も城域であったようで、北の千葉氏埋蔵文化調査センターに隣接して空堀があり、北の台地の端の部分には土塁が残っている。
案内板のある墓地まで車で行くことができるが、八劔神社の辺りにも駐車可能。
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