築城年代は定かではない。一般的な説として天文8年(1539年)に原氏によって築かれたと云われる。
天文7年(1538年)北条氏が小弓公方を討ち取り、小弓城を取り戻した原氏が小弓城を廃して生実城を築いたのが始まりとされる。
天正18年(1590年)原胤栄は豊臣秀吉による小田原征伐で、徳川氏の武将酒井家次と戦って討死し、その後は関東に転封してきた徳川家康の所領となり、その家臣である西郷家員が生実に五千石を与えられた(生実陣屋を参照)。
生実城は生実池の東側にある台地に築かれていた。現在はほぼ宅地や田畑となっており、遺構は少ない。
主郭があったのは台地の北西で住宅地の中にある本城公園に生実城の案内板がある。江戸時代に生実藩の陣屋が生実神社の西側に構えられたが、ここも生実城の出郭であった。この陣屋の東側に大きな空堀と土塁が残っている。
また生実神社南の県道66号線を東へ進んだ所に大手口跡の石碑があり、北側に土塁がわずかに残っている。また陣屋の西側、ガソリンスタンドの近くにも土塁の残欠が確認できる。