康正2年(1456年)武田信長によって築かれたと云われる。 上総国武田氏の武田信長は康正2年(1456年)下総国市河合戦のときに庁南城と真里谷城を築き、真里谷城には信長の嫡男信高の二男清嗣(信興)が城主となり真里谷武田氏の祖となった。
天文6年(1537年)真里谷武田信隆・信応兄弟による内訌で、一時は小弓公方足利義明の支援を受けた信応が家督を継いだが、天文7年(1538年)の国府台合戦によって義明が没した後は、北条氏の支援を受けた信隆が家督に復した。しかし、天文12年(1543年)再び真里谷一族に内紛が勃発し真里谷武田氏の勢力は没落した。
真里谷城は標高162mの城山に築かれている。現在は少年自然の家キャンプ場や城山神社境内となっており、幾分改変を受けているが比較的良好に遺構が残っている。
真里谷城は千畳敷と呼ばれる巨大な長方形の主郭を中心として、概ね北側の丘陵に遺構を展開している。主郭は東から北側に面して高土塁が巡り、西側中央が虎口当時の虎口のままであるならば、丁字に分かれて進入するようになっている。
少年自然の家のある所で、車道の入口付近に駐車場があります
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