築城年代は定かではない。 はじめ和田正治の居城で、応永年間(1394年〜1428年)頃には里見氏の重臣多賀氏の居城となり、小田原北条氏によって攻められ落城したという。
城は国道297号線の北にある小山に築かれている。 天神社のある南東側が実城、その北西に二の曲輪、西側の麓が三の曲輪だという。
東側より登って行くと古井戸の案内があり、天神社の建つ実城へたどり着く。実城の北側には土塁があり、北西隅は西側の空堀に突き出るようになっている。
二の曲輪方面への道はあるようだが草が生い茂り、さっきまで降っていた雨のこともあって奥まで行く気にはなれず、退散する。