慶長5年(1600年)頃に大田原増清によって築かれたと云われる。 増清は大田原城主大田原綱清の次男で、森田に千石を分知され、森田大田原氏の祖となった。
森田大田原氏は慶長7年(1602年)に千五百石に加増され、その後代々交代寄合の旗本として明治まで存続した。
森田陣屋は荒川に面した平地に築かれていた。小塙駅の東350mの辺りで、現在は田畑となっている。案内板には堀と土塁が描かれており、畑の隅に土塁らしきものは確認できるが、詳しくは見ていない。
森田大田原氏の菩提寺が森田城の麓にある芳朝寺(森田城参照)にある。