築城年代は定かではない。 奈良備前守元吉の出城であったが、文明9年(1477年)に落城したという。
天正7年(1579年)長宗我部元親が西長尾城を攻めた時に陣を構えた場所という。
城は如意山から西へ伸びた尾根の先端に築かれている。
主郭は標高147mの所で現在公園として整備されている。東西に長く周囲に二段の帯曲輪がある。削平状態は良くなく自然傾斜が残る。
主郭の西側に堀切があり、その先の尾根先部分も削平され出丸のようである。
主郭から東へ向かうと帯曲輪に低土塁が残っているようであるが、この辺りはまったく整備されていないので良くわからない。北側に虎口らしき土塁の開口部がある。そこから東の山腹へ降りて行くと横堀があり、その脇に竪堀が残る。如意山へ向かう尾根に二重堀切がある。
如意山の南西麓にある櫛梨神社から遊歩道がある。
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