築城年代は定かではないが朝比奈弥太郎によって築かれたと云われる。 朝比奈弥太郎は鎌倉時代の御家人で怪力の持ち主として知られる朝比奈義秀の末裔というが詳らかではない。
天霧城主香川氏の家臣として出城の一つであったという。永禄元年(1558年)善通寺合戦で三好実休が天霧城の香川氏を攻めたとき、甲山城南麓で迎え撃ったが朝比奈氏は敗れて討死したという。
甲山城は四国霊場第七十四番札所である甲山寺の南にある甲山に築かれている。
標高87.2mの独立峰で、山頂にある主郭は周囲に帯曲輪が巡り、北の山腹に遊具が設置された二段の曲輪、主郭の南にも二段の腰曲輪が残っている。
甲山寺の毘沙門天の脇に「かぶと山トリムコース」の入口がある。四国ミニ霊場の石仏が祀られており遊歩道となっているが、南西の春日神社方面に降りる道は途中で消えている。
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