築城年代は定かではない。
近藤出羽守国久の居城で、国久は獅子の鼻城主大平伊賀守国祐の弟である。 大平国祐が雨霧城主香川氏に属していた事から、近藤国久も香川氏に属していたものと推測されている。
天正5年(1577年)阿波国白地城主大西覚養は長宗我部元親に対して一度は帰順しながらも心変わりし、長宗我部氏に攻められ国久を頼って落ち延びた。その後、天正年間にこの麻城も攻められ落城、戦いに敗れた国久は谷に落ちて横死したといい、この場所は「横死ヶ谷」と呼ばれている。落城年は定かではないが、近くの本篠城が天正6年秋に落城していることから、麻城もその頃に落城したと推測されている。
城は県道23号線の北にある標高160m程の山頂に築かれている。
主郭部は山頂西側で、西端に主郭があり、東へ向かって数段の削平地をならべ東端に土塁が残る。東尾根に一条の堀切があり、その先に出丸がある。
出丸は土橋の架かる堀切を挟んで東西二郭ある。
県道23号線沿い、樫谷地区付近に道標があり、そこから道標沿いに進めば城址へ到達する。道は細いがコンクリート舗装されており、普通車であれば到達できる。
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