応安元年・正平23年(1368年)長尾元高によって築かれたと云われる。 長尾氏は三野郡詫間郷筥御崎を領して海崎城を居城とし海崎氏を名乗っていたが、白峰合戦の功により長尾を領して長尾氏を名乗った。
天正7年(1579年)長宗我部氏の侵攻を受け籠城するが、先に降伏した天霧城主香川氏の説得を受け開城した。
天正8年(1580年)長宗我部元親は長尾に入って城山に新城を築き、家臣国吉甚左衛門尉を城主とし讃岐の惣物頭に任じて讃岐の拠点とした。しかし、天正13年(1585年)羽柴秀吉による四国征伐によって長宗我部氏が降ると廃城となった。
城は土器川の北岸にある標高375.1mの城山に築かれている。
主郭は城山山頂にあって、主線は北尾根に向かって段々と削平地を列べている。 主郭から東の猫山方面に伸びる尾根にも曲輪が列び、途中堀切、二重堀切などが残っているようなのだが、立ち入り禁止のロープが張られ確認できなかった。
城山は仲多度郡まんのう町と丸亀市の境に位置しており、丸亀市の指定史跡となっているようである。まんのう町側の石碑と案内板は城山の南側の国道438号線沿い大川神社付近に建っている。
レオマワールドが目印。国道438号線からレオマワールドへ向かう道へ進んで行くと、途中右側にコンクリート舗装された道の入口がある。この道が遊歩道となって城山へ通じる。
最寄り駅(直線距離)