築城年代は定かではないが海崎備前守元村によって築かれたと云われる。 海崎氏は橘姓で三野郡詫間郷筥御崎の開発領主となったのが始まりという。
白峰合戦で元村とその子元高は細川頼之に従って軍功を挙げたことから、栗熊、岡田、長尾、炭所などに所領を与えられた。海崎氏は応安元年(1368年)に西長尾城に居城を移して長尾氏を称したという。
海崎城は荘内半島の先端付近にある紫雲出山の北東の標高207mの峰に築かれている。
主郭は山頂にあり南北に長く南端がやや小高くなる。主郭の北下に一条の堀切があり、主郭の周囲には犬走状の通路が巡り、東側は現在も紫雲出山への登山ルートとして利用されている。
北西麓の箱峠のところから紫雲出山へ登る登山道が整備されており、駐車場も用意されている。