大永2年(1522年)岡田重篤によって築かれたと云われる。
天文4年(1535年)岡崎城主松平清康が尾張に侵攻するが、この地で家臣の阿部弥七郎に殺された。 その後、織田信光が城主となるが弘治元年(1555年)殺され廃城となった。 しかし、天正12年(1558年)小牧長久手合戦において徳川家康は三河との連絡路を保つため、この城を修築し本多広孝に守備させた。小牧長久手合戦後は再び廃城となった。
小幡城は西城小学校の東にある高台に築かれていた。複郭の城であったが、現在は宅地となっていて明瞭な遺構は残っていない。高台にある「ビブレにししろ」の前のところに案内板が設置されている。