元亀元年(1570年)森可成によって築かれた。 織田信長が家臣の森可成に命じて築かせた城で、近江国から京へ入る道筋を押さえる為に築いたものと云われる。
元亀元年(1570年)九月朝倉義景・浅井長政の連合軍が坂本へ押し寄せると、森可成は城を出て坂本で迎え撃ち討死した。連合軍は宇佐山城へ攻め寄せ放火したが、攻め落とすことはできなかった。摂津から急ぎ京へ戻った信長は宇佐山城へ入り連合軍と対峙したが、膠着状態となり和議となった。
信長は明智光秀を宇佐山城主とすると、延暦寺の焼き打ちなどを命じた。元亀2年(1571年)明智光秀は坂本の地に坂本城を築いて移り、宇佐山城は廃城となった。
宇佐山城は近江神宮の西に聳える標高355mの宇佐山山頂に築かれている。
宇佐山城は山頂の主郭、南下に二郭、北に鞍部を挟んで三郭がある。 主郭の南端には二郭に通じる虎口があり、現状でははっきりしないが、石垣を伴う桝形虎口であったようである。
主郭と北の三郭との間には鞍部があり、東麓からの登山道はこの部分に出てくるのだが、元々の大手道はもう少し南に登ってきていたようである。この鞍部に面した部分には主郭側に横堀が付いている。
宇佐山城には比較的高い石積が残されており、主郭の北東下、二郭の南東下辺りに残存している。
北の三郭からさらに北側の尾根にも城郭遺構があり、南端を削り残した頂部の曲輪から北東側に段々と平段が残っている。
近江神宮の南から山腹にある宇佐八幡宮へ登る車道があり、この道を登れば八幡宮まで車で行くことができる。ここから宇佐山城に登る登山道が整備されている。
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