天正14年(1586年)浅野長吉によって築かれた。築城に際しては坂本城の部材が転用され、坂本の住民も多くが大津へ移住したという。 その後立て続けに城主がかわったようで、天正17年には増田長盛、天正19年に新庄直頼、文禄4年に京極高次が城主となったようである。
慶長5年(1600年)関ヶ原合戦の直前に京極高次の籠る大津城を毛利元康が攻め、激しい戦いが繰り広げられ、あとは本丸を残すまで攻め込んだ所で大津城は開城した。
関ヶ原合戦後、大津城は廃城となって新たに膳所城が築かれ、大津城の部材は膳所城と彦根城に転用された。現存してる彦根城の天守はこの大津城の天守を移築したといわれ、もともと五層四重であった天守を移築に際して三重三階に切り詰めたという。
当時は琵琶湖に浮かぶ水城であったといわれるが、現在は完全に市街地となり、外堀の石垣など僅かに遺構を留めるだけである。ただ発掘調査によって大津城の石垣が発見され、今でも地下にはいくつかの遺構が残っているようである。
大津城の石碑は浜大津駅から琵琶湖側へ道路を渡った所に設置されている。
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