北白川城、勝軍山城などの名称で史料に登場する山城で、文明年間(1469年~1487年)から元亀年間(1570年~1573年)頃まで、何度も修築を繰り返して利用されてきた。
天文年間(1532年~1555年)以前には六角勢の陣城として利用されていたが、天文16年(1547年)には将軍足利義晴が細川晴元に対抗するために大規模な築城を行っている。
永禄年間(1558年~1570年)には三好氏と足利義輝の対立で使われ、元亀年間(1570年~1573年)には朝倉・浅井連合軍に対して織田勢が利用した。
北白川城は瓜生山を中心に広範囲に遺構が点在しているため、『京都府中世城館跡調査報告書』にしたがって城域を細分化して紹介する。
北白川城1は瓜生山山頂部で勝軍地蔵が祀られていることから参道や登山道などによる改変もあるが、遺構は比較的良好である。
山頂部から南へ派生した各尾根に曲輪を展開しているが、なかでも東側にある長い箱堀が特徴である。箱堀の東側には土塁のついた曲輪群が南北に続き、南尾根の先端には堀切が残る。
京都一周トレイルを利用してある程度の遺構を確認することができる。
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