慶長2年(1597年)豊臣秀吉によって築かれた。
聚楽第を破却した秀吉が新しく築いたのが京都新城で、嫡子秀頼の元服のさいには秀吉と秀頼が完成した京都新城に入城している。翌慶長3年(1598年)秀吉が没すると北政所が邸宅として利用していたが、関ヶ原合戦がおこると門や土塀を破却して交戦意思がないことを示し、合戦後は再び北政所の邸宅として利用された。
寛永元年(1624年)には北政所が没し、その後は後水尾院の仙洞御所となった。
京都新城は現在の京都御苑仙洞御所のあたりに築かれていたというが遺構はない。