天文18年(1549年)足利義晴によって築かれたと云われる。
室町幕府12代将軍足利義晴が「東山慈照寺上の山」に築いた城が中尾城と考えられている。しかし、義晴はすぐに没し、足利義輝が入城したが、天文19年(1550年)に三好長慶によって攻められ自焼して落城した。
この城は二重の壁の間に石を詰めたことが『穴太記』に記されており、これが鉄砲対策と考えられていて、文献でわかる最古の事例とされる。
中尾城は慈照寺(銀閣寺)の東背後に聳える標高280mほどの山に築かれている。
南北に伸びた尾根に三段ほどの曲輪があり主郭南端には低いがやや分厚い土塁が残る。北端と南尾根に堀切があり、さらに南東に曲輪が一つ、その南下の尾根は堀切であろうか。登山道と絡み合った堀状地形がある。
銀閣寺から大文字山(如意岳城)への登山ルートの一つであるが、道標などはない。山道の分岐はたくさんあり、そのうちの一つがこのルートを通っている。
最寄り駅(直線距離)