築城年代は定かではないが豊田氏によって築かれたと云われる。 豊田氏は藤原道隆の後裔を称すが出自は詳らかではない。
はじめて豊田氏を称した初代は豊田輔長で、二代豊田輔平のときに広畠の地に館を構えた。七代種弘は豊田郡大領に任ぜられ、十二代種長は南北朝時代の動乱の中で勢力を拡げ、観応の擾乱で足利直冬は一時期この豊田氏を頼って一ノ瀬に滞在した。
豊田氏館は一ノ瀬城を詰城とした平時の館で、東麓に築かれてた。 広く田畑となっているが、一番奥にある「館ヶ浴」と呼ばれる地に庭園の池があり、樹齢六百年以上と推測される「館ヶ浴の椿」が天然記念物に指定されている。
県道65号線から一ノ瀬に入ると北正面に見える山が一ノ瀬城。道なりに進むと大きく「豊田大領 豊田氏館跡」と刻まれた石碑が建っている。ここから川沿いに西へ進むと「館ヶ浴の椿」がある。
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