築城年代は定かではないが豊田氏によって築かれたと云われる。 文永11年(1274年)十一代豊田種貞のとき、元寇の再来に備えて城を堅固に改修したという。
一ノ瀬城は豊田氏の居館の西側に聳える標高186.3mの城山に築かれている。 東麓には豊田氏館があり、南の谷の入口には観応3年(1352)年に没した十一代豊田伊賀守種貞を供養する板碑があり、その向かいの水田の中には千人塚が残っている。
一ノ瀬城は南北に伸びた尾根に曲輪を配した連郭式の山城で、南端の最高所に主郭があり、北へ曲輪が連なる。南北の規模はおおよそ350m程である。
主郭は南端の山頂部で、南北に長く100m以上あり、曲輪の南西側が一段高くなっている。三角点のある南端の山頂部は荒れているが犬走りがある。南の山腹はそれほど急斜面ではない地形が続いている。主郭の中央西側の山腹に腰曲輪が二・三段あり通路がある。
主郭の北に一段下がって南北に長い二郭がある。二郭の南西に土塁が付いていて主郭との間が開口している。
二郭の北は大きく下がった尾根で、そこに堀切が一条ある。その北の尾根も小郭となり、その先に更に一条堀切がある。堀切の北に小高くなった地形があるが、その先は自然地形で堀切はない。
豊田氏館の石碑がある所に「一ノ瀬城500m」の道標が出ている。これがおそらく北の峠から尾根伝いに開かれた道を指していると思われるが、現状は余り利用されておらず途中からシダが生い茂っていて荒れている。
豊田氏館から北上すると峠にさしかかり、そこから山に入る道が付いている。これを道なりに進むと城山の北、東の峰との谷間に出る。ここから踏み跡に沿って上ると北端の堀切に出てくる。
試していないが、山頂から西に鉄塔が建っており、こちらから尾根伝いに直登することもできるかもしれない。
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