築城年代は定かではない。もともとは牛尾館と呼ばれ、佐々木惣左衛門の居館であったが、三戸南部20代信時が隠居して移り住んだとき、佐々木氏は牛尾館を譲り、隣に佐々木館を築いて移り住んだという。
三戸南部氏22代政康の二男高信が田子館に住み、後に26代を継ぐ信直はこの石川高信の長子として田子に誕生した。石川高信は津軽郡代として石川城を居城として活躍する。
天正10年(1582年)南部晴政が没して嫡男晴継が家督を継いだものの、晴継もすぐに没した為、南部家の家督を巡って田子信直と九戸実親(九戸城主九戸政実の弟)との争いとなった。このとき信直を推す剣吉城主北信愛の根回しによって家督は信直が継ぎ三戸城主となった。さらに信直のあと家督を継いだ利直も天正4年(1576年)にこの田子館で誕生している。
田子館は田子川南岸の台地の上に築かれていた。現在田子中学校となっている部分が御本丸こと牛尾館で、南西側には佐々木館があり、間の道路が鹿角街道を兼ねた堀切である。
田子城の案内板は北麓の国道に面した階段の入口に建っている。中学校の校舎前には『信直公居城牛尾館跡』の石碑がある。