陸奥 石亀館むつ いしがめだて
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築城年代は定かではないが石亀信房によって築かれたと云われる。 信房は三戸南部氏22代南部政康の四男という。
石亀氏は紀伊守信房の後は石亀大炊介政頼、石亀七左衛門直徳と続いた。直徳は四百石(三戸御古城之図では二千石)を領して三戸城内に屋敷を構えていた。
石亀館は石亀集落の北にある台地の南端に築かれていた。山上は広く畑として整地されているようであるが、南北に走る道路が堀跡で南端にその痕跡が残っている。