陸奥 名生城むつ みょうじょう

城郭放浪記


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陸奥 名生城の写真
掲載写真数
形態
平城
別 名
御所館,義隆館
文化財指定
市指定史跡
遺 構
土塁,郭,堀
城 主
大崎氏
歴 史

築城年代は定かではないが南北朝時代に斯波家兼によって築かれたと云われる。 足利氏の流れを汲む斯波高経の弟斯波家兼は奥州探題に任ぜられ下向した。この家兼が大崎氏の祖となり、家兼の二男兼頼が出羽国山形に入部して最上の祖となった。

大崎氏の居城は不明な点が多いが、家兼が当初居城としたのが中新田城、二代直持は師山城、十二代義直と十三代義隆が中新田城に居城し、義隆は後に名生城へ移っている。

大崎氏は奥州探題として広大な勢力を持ったが、度重なる内紛によって没落し、天文年間(1532年〜1555年)頃には実質上伊達氏によって支配されるまでになった。天正16年(1588年)大崎氏の内紛を鎮圧するために伊達政宗が出兵した時 、大崎義隆は最上義光に援軍を要請してこれを追い払うなど、伊達氏からの脱却を目論んだが達成することはできず、天正18年(1590年)小田原城攻めに参陣しなかったため、所領を没収され改易となった。

説 明

名生城は江合川の西岸の河岸段丘の微高地に築かれている。大館、内館、北館、小館、群議評定所丸などから空堀と土塁で区画された曲輪群で構成されていたという。

現在は大半が宅地や田畑などになっているが、浄泉院の南東側に四方を空堀が巡った内館がその形状を良くとどめ、随所に空堀や土塁の残欠が残っている。

名生城は名生館官衙遺跡と場所がかぶっている。

案 内

名生館官衙遺跡または浄泉院を目指すのが良いでしょう。名生館官衙遺跡とは別に名生城の案内板が浄泉院へ向かう道の脇に建ってる。

最寄り駅(直線距離)
0.8km 東大崎駅
2.0km 西大崎駅
3.8km 西古川駅
4.9km 岩出山駅
5.7km 有備館駅
所在地/地図
宮城県大崎市古川大崎字城内
付近の城(直線距離)
0.0km 陸奥 名生城
0.5km 陸奥 泉沢館
1.0km 陸奥 御所館
1.6km 陸奥 伏見城
2.2km 陸奥 三丁目館
2.4km 陸奥 丸山館
2.5km 陸奥 境館
2.9km 陸奥 下野目中館
3.1km 陸奥 下野目陣館
3.2km 陸奥 寺前館
3.2km 陸奥 南沢館
3.4km 陸奥 新井田城
3.6km 陸奥 新堀館
3.9km 陸奥 天神館
4.4km 陸奥 宮沢城
4.6km 陸奥 雨生沢城
4.8km 陸奥 城生城
4.9km 陸奥 鍋倉山館
5.0km 陸奥 城生柵
5.0km 陸奥 宮沢遺跡
5.2km 陸奥 中新田城
5.3km 陸奥 多田川城
5.5km 陸奥 岩出山城
5.8km 陸奥 青塚城
最終訪問日
2010年4月
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