築城年代は定かではないが承安年間(1171年〜1175年)に照井太郎高直によって築かれたと云われる。照井氏は藤原秀衡の家臣と伝えられ、文治5年(1189年)源頼朝による藤原氏討伐で仁田四郎忠常に攻め落とされ討死したという。
天文年間(1532年〜1555年)に大崎家臣新田安芸頼遠が大崎義直に反乱を起こすと、大崎氏はこれを鎮圧することができず、伊達稙宗に援軍を求めた。天文5年(1536年)岩出山城に籠もった新田頼遠を攻めた際、大崎氏と伊達氏はこの丸山館を拠点とした。
天正19年(1591年)岩出山城を拠点とした伊達政宗は丸山館を改築して東御所と称し母の居館としたが、仙台城を築いて移った為に廃城となった。
丸山館は北西から南東に伸びた丘陵に築かれており、小館、中館、菱館、大館、空館と東西に並んでいるという。この名称はおそらく東から順番になっていると思われる。西端の空館は桜などが植えられており、東端に土塁が残る。その東の大館は北側を除いた三方に土塁と空堀が巡らされ、東側に社の基壇のようなものがあり、別ルートからそこへ道が付いている。これが城郭体系に載っている丸山大館稲荷神社であろうか。その東側にも曲輪があるが藪がひどいようなので未確認。
丸山館の南側に「社会福祉法人聖心会大崎太陽の村」があり、この北側付近に案内板が設置されている。
最寄り駅(直線距離)