詳細不明。「鎌倉権五郎景政が一夜にして築いた城」、「源頼義が五日間滞留した」との伝説が残るが、石川氏が白河結城氏に対する備えとして築いたものとされる。
城は阿武隈川の東岸の河岸段丘に築かれている。
段丘断崖に面した西側を除く三方に土塁と堀を巡らせ、東と南に虎口を開く。 東の虎口は土橋が架かり、北側の櫓台より横矢がかかる。南の虎口にも土橋が架かり、土橋の西側の堀と土塁が土橋に水平に近く屈折させることで横矢をかけている。
北側の馬舟沢(現在道路が通る)を隔てた西に突き出した丘陵にも、東の付け根の部分に堀切が残っている。