築城年代は定かではないが応永28年(1421年)頃に松平信光によって築かれたと云われる。 信光は松平氏の祖、親氏の子であるが、親氏は信光が幼少にして没した為、家督は一時親氏の弟泰親へ譲られ、後に信光が三代目となった。
信光は応永28年(1421年)中根大膳を敗って岩津へ進出し、岩津城を拠点として築城して松平郷から岩津城へと移った。晩年には安祥城を落として居城を移すなど、松平氏の勢力拡大に尽力した。
天正2年(1584年)小牧長久手の合戦の時に徳川家康によって改修されたという。
岩津城は岩津天満宮から東名高速を挟んだ西の丘陵に築かれており、現在は見学路が整備されている。
主郭Iは南に分厚い土塁を備え中央が開口して馬出IIに続く土橋が架かる。馬出IIも分厚い土塁がついて東西両方が開口し、西は土橋、東は曲輪IIIに通じる。曲輪IIIも南に分厚い土塁が付いているが、馬出IIの土塁と間が開口し、横堀2の対岸には橋台と考えられる出っ張った土壇があることから木橋が架かる虎口であったと考えられる。
主郭の北側は曲輪IV、Vと広い帯曲輪が続く。西側の土塁に沿ってスロープとなる虎口2がある。
岩津天満宮を目指して行くのがわかりやすい。登り口は南側、西側などいくつかある。
最寄り駅(直線距離)