大永年間(1521年〜1528年)に尻高三河守によって築かれたと云われる。
はじめ尻高三河守の家臣塩原源太左衛門が城代であった。武田氏の家臣真田が吾妻方面に勢力を伸ばすと、天正8年(1580年)には富沢豊前守が城代となった。天正10年(1582年)武田氏が滅亡すると上野には小田原北条氏が侵攻してくる。真田信幸は横尾八幡城に二組の番衆を置き交互に守らせた。天正17年(1589年)北条氏邦が白井城から攻め寄せてきたが、富沢豊前守らの番衆が堅く守ってこれを撃退した。
横尾八幡城は名久田川と赤坂川が合流する地点の西、東へ突きだした尾根に築かれており、南面は垂直の崖になっている。
主郭は公園になっており東屋があるものの周囲は藪で遺構を細かく確認できる状況ではない。主郭は土塁が巡っており、現状北を除く三方に開口部がある。大手は南西側のようで、この辺りは墓地になっている。
県道231号線が赤坂川を渡る辺りに案内板が建っている。ここから林道が通っているが道は狭く、公園には駐車できないので歩いて登るのが良い。
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