築城年代は定かではない。建久年間(1190年〜1199年)に吾妻氏が築き、吾妻太郎行盛もこの地で生まれたと云われるが、現在残る遺構は戦国期のものであり、館は北側に残る字「舘の内」であったとも云われる。
室町時代には大野氏の居城で、岩櫃城の斎藤氏と婚姻を結んでいた。大野氏は斎藤氏の重臣となって台頭するが、同じく重臣であった岩下城主の斎藤憲次によって滅ぼされたという。
稲荷城は四万川と須郷沢川との間を東へ伸びた丘陵の先端に築かれている。
主郭は五角形で高土塁と横堀を巡らせ東西二箇所に虎口を開く。主郭の周囲にも曲輪を巡らせ、特に西側は土塁や空堀が残っている。
東吾妻中学校の北にある県道を少し北上すると尾根の先端に稲荷神社への参道がある。この稲荷神社境内から奥へ入って行けば主郭に至る。
主郭周辺は比較的整備されているが、案内などは特になく、近くには民家や畑などもあるので、歩く場所は注意したい。
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