上野 中山城こうずけ なかやまじょう

城郭放浪記


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上野 中山城の写真
掲載写真数
形態
丘城(560m/15m)
別 名
なし
文化財指定
村指定史跡
遺 構
土塁,郭,堀
城 主
北条氏
歴 史

築城年代は定かではないが天正10年(1582年)頃に小田原北条氏によって築かれたと云われる。

天正10年(1582年)甲斐の武田氏が滅亡し、織田信長の武将滝川一益が上野一国を与えられたが、その信長も本能寺の変で横死した。滝川一益が上野を引き上げると、北条氏直、徳川家康らが旧武田領に侵攻した。そんな中、真田昌幸ははじめ北条氏に帰属したが、その後徳川方に転じた。

北条氏直は真田の拠点である岩櫃城沼田城の中間にある中山の地を押さえる為、北条氏邦を向かわせ占拠させた。このとき中山の地に築かれたのが中山城で、北条氏の真田攻めの拠点となった。

北条氏はかつての沼田城主沼田顕泰の子赤見山城守を中山城に置いて守らせた。 その後の動向は定かではないが、天正14年(1586年)に真田方の攻撃により落城、赤見山城守もこのとき討死したと云われるが、実は生き延びていたようだ。

説 明

中山城は南へ伸びた台地の南端に築かれている。

中山城は台地の東端に方形区画の本丸を置き、それを囲むように二郭、三郭を巡らし、深い空堀によって区画している。台地の南端には広大な平地があり捨曲輪とされている。

主郭は台地の東端部に位置しているが、こちら側は現状は小さな川が流れている程度で比高も10m程しかなくとても要害には見えない。現在はこちら側から山道が付けられ、本丸まで一直線に登る道が付いている。

主郭はこの東面を除く三方に土塁を設けており、北と南に開口部があり木橋が架かっていたようだ。主郭の北は東西に長い曲輪で、その外側が北東面を覆う横堀になっている。南にも東西に長い曲輪があるが、その西側が土橋になり、先端に土塁が付いている。

案 内

国道145号線沿い北側に広い路側帯があり、そこに石碑と案内板が設置されている。車はここに駐めることができ、東側から登る道が付いている。

最寄り駅(直線距離)
7.3km 後閑駅
7.8km 沼田駅
8.6km 小野上駅
8.8km 市城駅
8.8km 小野上温泉駅
所在地/地図
群馬県吾妻郡高山村大字中山字城内
付近の城(直線距離)
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7.2km 上野 下川田城
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7.5km 上野 後閑館
7.6km 上野 内小山の砦
7.8km 上野 小川城
7.8km 上野 荘田城
7.9km 上野 師館
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8.1km 上野 沼田城
8.1km 上野 道坂城
8.2km 上野 内藤陣屋
8.5km 上野 市城砦
8.6km 上野 景家館
最終訪問日
2012年11月
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