築城年代は定かではないが明応年間(1492年〜1501年)に沼田景冬によって築かれたと云われる。景冬は沼田城主沼田景久の三男で名胡桃氏を称した。
天正7年(1579年)真田昌幸は沼田城攻略のため名胡桃城に入り、翌8年に沼田城を攻略した。その後は真田家の重臣鈴木主水重則が城主となった。
天正17年(1589年)豊臣秀吉の裁定により沼田は北条領となったが、名胡桃城は真田氏の持城として維持することとなった。しかし、沼田城代であった猪俣邦憲が名胡桃城を攻略して奪ったため、秀吉の怒りを買い、小田原征伐の発端となった。
名胡桃城は利根川に突き出したような半島状の台地の先端に築かれている。現在は県指定史跡として整備されている。
名胡桃城は北東へ半島状に突き出した台地にあり、南から外郭、三の郭、二の郭、本郭、ささ郭、物見と空堀で区画された曲輪群が連なっている。三の郭の南には馬出し、二の郭虎口は食い違いであったようであるが、後世の畑転用などによって土塁などは消滅しており、細かな遺構は残存していない。しかしながら、曲輪間の空堀や西にある般若郭との間の天然の谷地形などは非常に良く残っている。
大河ドラマ真田丸によって復元整備が進んだ。復元整備された二ノ丸を確認すると本丸側にも厳重な虎口を開いていることから、二ノ丸部分が本丸のような印象を受ける。
国道17号線月夜野バイパス沿いに案内板が出ている。般若郭が駐車場になっている。
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