築城年代は定かではないが永享年間(1429年〜1441年)に高山氏によって築かれたと云われる。高山氏は武蔵児玉党の高山重遠を祖とする。
高山氏は近くの平井城主関東管領山内上杉氏の重臣であったが、天文20年(1551年)に上杉憲政が北条氏によって追放されると北条氏に従った。その後は上野に侵攻した上杉謙信、武田信玄、滝川一益などに従い、最後は再び北条氏に従って天正18年(1590年)豊臣秀吉による小田原征伐で北条氏とともに没落した。
高山城は居館となる「百間築地」、山腹にある「要害山」、そして山頂部の詰となる「天屋」からなる城である。
周囲がゴルフ場に開発されて遺構の一部は消滅しているものの天屋の主郭部は残っている。
天屋は三角点のある標高297.3mの峰を主郭とし、南へ伸びた尾根に曲輪を展開している。主郭は東に虎口があり周囲を帯曲輪が巡っている。東、西、南の三方に堀切があり、南尾根には堀切と曲輪をさらに連ねている。南の尾根からさらに西へ伸びた尾根に曲輪があったが、この部分はゴルフ場開発で消滅している。ただ側面に大きな空堀があり見所である。
「百間築地」から南の畑跡をたどると山に通じる道がある。ここから要害山を経て天屋の西尾根に登る道がある。
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