築城年代は定かではないが文明12年(1480年)長井斉藤別当実永によって築かれたと云われる。
天文21年(1552年)山内上杉家に属していた安保泰広は北条氏康に御嶽城を攻められ降伏した。
永禄12年(1569年)西上野を支配した武田氏と境界を接するようになる。このときには平沢豊前守政実(のちの長井政実)が御嶽城を守っていたが、北条氏は本城と中城に北条氏の兵を置いて守らせた。
元亀元年(1570年)武田氏は御嶽城を攻め落とし平沢政実は武田氏方となっている。元亀2年(1571年)武田氏と北条氏が再び同盟を結ぶと御嶽城は北条氏に返還された。
御嶽城は金鑚神社の背後に聳える標高343.4mの御嶽山山頂に築かれている。
御嶽城は山頂の主郭を中心として東西南北四方に広がる尾根に曲輪を展開している。 主郭は山頂にあって周囲に切岸を設け、北から西下に帯曲輪を配している。
東尾根は主郭に近い部分に二・三条の堀切があり、東端部に東曲輪がある。この東側は岩場で展望台になっている。
北尾根は一条堀切があり、その先に広い曲輪がある。ここから北東側の尾根に道が続き、石積が確認できる。北東尾根は先端に二条の堀切が付いている。
西尾根は主郭下に大きな堀切があり、その先に二条の堀切がある。北側山腹には平場があり石積があるというが見つけられない。さらに西へ進むと平段があり、その先が小高く削平され、北下に腰曲輪が付いている。
南尾根は急斜地で、堀切などの防御施設はないが、二段程の平段がある。
金鑚神社に駐車場があり、境内の奥から遊歩道が付いている。途中に「御嶽の鏡岩」を経て山頂に至る。
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